
先日、5月19日の「症例検討会」研修会を振り返って見ます。
「症例検討会」では、ご協力頂いた、片麻痺患者さんの「現象」を読み解き、「本日の目標」を明確に設定し、「その活動がなぜ思ったように遂行できないか」を「筋・骨格」などの運動効果器と「課題に含まれる、感覚的要素、認知的要素」、「対象者がどのようにご自分のことを感じておいでなのかの推測」もろもろ、多岐にわたる「私たちは、なぜ、あまり考えもせずに自由に動けて、片麻痺患者さんとは何が違うのか」ってことを一日かけて、キリキリっと考え抜きました!

現在、大多数のセラピストが勤務する、回復期や急性期など、「医療的側面(バイタルの安定、意識レベルの改善など)の目標」がはっきりしていたり、「立てるように、歩けるように、寝起きが一人でできるように、ご飯が一人で食べられるように、服が着られるようになど」できないことのほうが多い時期には、「やりたかや形はともかく、できるようになる」ことに目標をおくことができますよね。
しかし、入院中でも「院内ADLは自立レベル」とか「すでに退院して日常生活は自立されている方の外来フォロー」といった場合、「麻痺手の機能を高めたい、上手に歩けるようになりたい」といった、どちらかというと漠然とした目標を立てやすよな、って思っています。

今回の「症例検討会」でも、上記の「ミシン」とか「傘」とかの達成目標を患者さんが語られた時に、講師である山田はあえてこんなふうに聞いてみました。
「なるほど、そうですよね。ミシンかけるときに布が寄れちゃうとキレイに仕上がりませんもんね。ところで、今現在、なにか困っていることはありませんか?」
ここで、研修会参加者から質問が出ます。
「達成目標と困ったことは、何が違うのですか?」とね。
ここが、臨床家の思案のしどころ。
患者さんが掲げた「達成目標」は、もちろんもっともなことですし、それが達成できたら僕だって嬉しいです。
しかしながら、「ミシンを両手で扱う」、「傘を両手でたたむ」って目標が現実的に見えているか、「できるようになりたくって、頑張って、頑張って、頑張っているのだけど上手くいかない」とかのシチュエーションならこの目標に向かって走り出しますが、まだ、麻痺手を積極的に生活場面で使っていない状況の患者さんでは、この達成目標はどちらかというと、「聞かれたから答えました」って内容だと僕には受け取れたのです。
言ってみれば、「ああ、映画スターになりたいなあ」とか「モデルになってパリコレに出たいわ」とかの願望に近い目標ってことです。
「できるようになったらそりゃあ嬉しいけど、でも、できなくたって困らない」程度の目標では、セラピスト側も患者さん側も「本気になれない」ってそんな風に思うのです。
よく、観察してみると、患者さんが良くなったって実感できる瞬間は、意識しているかは別にして「本当に困っていること」が達成できたときだと思うのですよね。
何も心情的なことばかりではありません。(運動)学習には報酬系の活動が不可欠です。平たく言えば、「出来た!」って感動が(運動)学習を促進させるということはおわかりいただけると思います。
なので、山田はあえて「困ったことはない?」という聞き方をします。
もちろん、日常生活が自立していると、「困ったこと」というのは、言い出せばキリがないし、無いといえば無いし(何とかなっているからね!)、ってレベルの話です。

そこで、今回はあえて明確な目標を設定しないで、麻痺手に介入することにしました。
治療の結果、若干ではありますが麻痺手を口元までもってくることができたその時!
「あ、困ったことありました!右肩の後ろが痒いとき、左手で掻けたらいいなあ、って思います!」これぞまさしく「かゆいところに手が届く」とっても素敵な目標だ思います。
このことから読み取れることってなんでしょうね。
山田はこのように解釈しました。
「麻痺手は動かないものとして、きっと回復に期待を持っていなかったんだよな。だから、『そうね、こんなことできるようになったらいいなあ』というお姫様気分の達成目標しか思いつかなかったのだ。」とね。
でも、動くことがわかると即座に「右肩を掻きたい!」って切実な目標が出てきます。
本当に困っていたことはね、「回復に期待が持てる状況であることを知らない」ってことだったのです。
もちちろん、患者さんがお帰りになってから、参加者全員でディスカッションしましたよ。
患者さんご本人に「あなた、自分の回復に期待してないでしょ!?」なんて言える訳ありません。そんなことは、きっとご本人だって気づいていないこと。
しかし、期待を持ってリハビリしてもらわないと、おそらく誰がどんなふうに関わったところで「回復」は無いと思います。
だから、参加者が白い目で見る中、山田は芸人よろしくおだてたり、場を盛り上げたりするのです。「さあ、この手でパーンチ!」っていって、山田の顔を叩かせたりするのです。そうすることで、空間認知(ベルンシュタインの言う空間レベルの動作構築)と麻痺手の末端から抵抗感が返ってくる、「ああ、自分の手がここにあるんだ」って実感を提供したかったのです。
そんなことを考えながら、患者さんに介入しているのが臨床家なのです。
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